■他人の自由はリスク、自分の自由は負担

 



 

那須耕介『社会と自分のあいだの難関』SURE

 

那須美栄子様、ご恵存賜りありがとうございます。

 

那須耕介さんの新たな単著の刊行を、心よりお慶び申し上げます。

一気に拝読しました。そして、いろいろなことを考えさせられました。

耕介さんが去る9月に亡くなられ、それから約二か月が過ぎて本書が刊行されました。本書は耕介さんのセミナー(講義)であると記されていますが、実質的には対談であり、内容は、黒川創さんほか、SUREに関わる方々との対談、そのなかで耕介さんが自分の考えをさまざまに語るものです。2021年の5月に1回、7月に2回の対談がなされ、全3回の対談から、本書が生まれています。濃密な内容であり、耕介さんは死の直前まで、明晰に思索していたことが分かります。表紙の絵もとてもいいですね。

 耕介さんによれば、最近人々は、「他人の自由はリスク」であり、「自分の自由は負担」であると思うようになってきた。自由よりも安全が欲しいし、自由よりも幸福が欲しい。人々はますますそのように思うようになってきたのではないか。またそれを受けて、政府はますます生活に介入するようになった。それでも、できるだけ「小さな政府にしたほうがいい」というのが耕介さんの主張なのですね。

 考察として興味深いのは、「紛争処理の三つの理念」(122頁以下)です。「真実」と「和解」と「正義」の三つが、三つ巴の構造になっていて、どれかを徹底的に追求すると、どれかがおろそかになる。重要なのはバランスで、厳罰と恩赦のバランス、事実告白と司法取引のバランス、対立を生みかねない真実の解明と和解のバランス、こうしたバランスを考えないといけない。その場合の政治的なバランス感覚はみなさん異なるでしょうが、このバランスのとり方について、もっと理論的に考察する余地があるだろうと思いました。問題提起として興味深いです。

 また耕介さんは、社会契約論が重要だと述べています(184頁以下)。社会契約論というのは、社会を原理的に正当化するための理論的な道具です。それにはしかし、多様な理論があって、一つの理論に対しても多様な解釈が出てくる。それでも社会契約論というのは、たんなる言葉遊びではなくて、「どんな人も、生きていく上でぶつかる問題として考えなきゃいけない」と耕介さんはいうのですね。

 これは本書の最初の問題に戻るのですが、なぜ私たちは、好きでもない人たちと生きていかなければならないのか。この問題に納得のいく答えを出すためには、社会契約論の仕掛けが有効ということでしょう。その裏にある問いはおそらく、「人間関係にわずらわされたくないな。権力的な人間関係からは、もっと離れたところで生きていたいな。しかし一定の権力的な人間関係は、いやでも承認せざるを得ない。これをどうやって折り合いをつけたらいいのだろう。」こういったものではないかと思いました。

 自分の生き方と社会のあり方に折り合いをつけるためには、実際、人間の生き方と社会の折り合いがついていないような社会問題・政治問題について、それを自分事として論じる必要があるでしょう。例えば「表現の自由」をめぐるさまざまな問題を、自分事として引き受ける。そのような志向が、耕介さんの中心にあった関心事ではないかと、改めて思いました。しかし耕介さんが53歳にして亡くなられたことは、残念でなりません。

改めて、ご冥福をお祈りいたします。


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