■社会に対する二つの不公平感
金澤悠介さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
社会に対する「不公平感」は、自分の利害に適合的な公正原理に基づくものなのか、それとも自分の利害を離れた視点から、社会を客観的に評価する公正原理に基づくものなのか。この二つの公正原理は異なります。前者は「自己利益正当化仮説」、後者は「客観的厚生判断説」と呼ぶのですね。
「自己利益正当化仮説」に立つと、もし自分が社会の中で不利な立場にあるなら、社会全体が「不公正」であるように見えるでしょう。反対に、自分が有利な立場にあるなら、社会全体が公正であるように見えるでしょう。
これに対して「客観的厚生判断説」は、自分の利害とは別に、客観的に社会の公正さを判断しようとします。これは学歴が高い人ほど、そのような客観的判断ができると考えられます。それゆえ、不公正を感じている人は、とりわけ学歴の高い人たちである、という仮説が成り立ちます(啓蒙効果仮説)。
しかし1990年から2000年にかけての実証研究では、このどちらも支持されなかった、というのですね。
その後、潜在クラス分析を用いた金澤さんの成果では、2005年と20015年の不公平感が比較されています。
日本社会は、競争の自由のための条件が十分ではないから格差が生まれている、という不公平感と、格差が大きいから不公平である、という不公平感と、この二つの不公平感があります。興味深いのは、格差に不公平感を感じている人よりも、競争の自由の条件がないことに不公平感を感じている人の方が、多いのですね。
2005年では、それぞれ20%と32%、2015年では、それぞれ17%と24%となっています。2015年の分析では、この二つの不公平感のバランスを重視する人たちが、39%いる。格差が大きくならない範囲で競争を求めるが、それが現在の日本社会では確保されていない、とみるタイプの人たちです。競争社会が格差を生むことを単純に批判するのではなく、つまり競争社会に対して単純に反対するのではなく、競争は大切であり、しかしそれが格差を生みすぎないための条件を求める人たちが多い、ということですね。
興味深いのは、全般的な公平感をもった人たちが、2005年は男性・高齢者・高所得層であったのに対して、2015年には低学歴・低所得層になったということです。これはどのように説明できるのか。今後の検討課題ということですね。