■新しいリベラルの家族社会学

 



 

阪井裕一郎『事実婚と夫婦別姓の社会学』白澤社

 

阪井裕一郎さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 

 まさに「新しいリベラル」の方向性を示していると思います。家族社会学における新しいビジョンであり、新しい問題の視角であり、新しい実証研究であり、既存研究に対する批判と応答になっています。

 選択的な夫婦別姓制と、完全な夫婦別姓制を比べた場合、完全に別姓にすることのほうが、男女平等の理想に近づきます。平等主義、あるいはまた一定のフェミニズムの立場からすれば、当然、後者の方が望ましいでしょう。

 あるいは、かつて福沢諭吉が提案したように、男性の苗字の一文字と、女性の苗字の一文字を組み合わせて、一つの苗字を新たに作るという制度も、一つのラディカルな提案です。家を継承するという発想をやめて、個人の同意のみに基づいて結婚制度を確立するためには、この福沢的なラディカルな方法も検討の余地があるでしょう。

 しかしリベラルの立場からすれば、こうした発想のまえに、選択的な夫婦別姓制度を導入することに意義があります。選択的な夫婦別姓は、平等主義の立場に立つ人たちの要求を認める一方で、平等主義の立場に立たない人の要求も認めます。このような選択制によって、イデオロギーの対立をプラグマティックに調停し、そこから次の制度改革に進むべきである、議論を継続すべきである、というのが背後にある思想的立場でしょう。

 ちなみに、米国は選択的夫婦別姓制です。ところが米国では、教育水準の上昇とともに、夫婦別姓の割合が減るようです。男性の苗字で統一するカップルの割合が多くなるようです(サンスティーン)。

 本書の第二章のインタビュー研究では、夫婦別姓にしている人は、フリーライターのように仕事上の不利益の問題を抱えているか、あるいは、親やパートナーや自分が離婚の経験を持つという個別の事情がある場合のようですね。こうした事情以外で、例えば、「男女平等」の平等主義を理念に掲げて、自主的に別姓にする人たちは、どれだけいるのでしょうか。このインタビュー調査からはみえてきません。

あるいはまた、平等主義ではないけれども、リベラルな観点から別姓にするという動機構造があるとすれば、それはどのようなものでしょうか。

 日本で選択的な夫婦別姓制を認めてもいいという人は、それなりに多いと思います。しかしこの制度改革は、それを推進する人たちの政治運動や圧力団体が、なかなか形成されないという弱点を抱えていると思います。圧力団体が形成されないので、立法案を作成したり、立法に向けて圧力をかけることが少ない。

 親やパートナーや自分が離婚の経験を持つという個別の事情をかかえた人たちは、夫婦別姓制度を支持する強い動機があるかもしれませんが、そのような人たちの団結は、いかにして可能でしょうか。

 あるいは、フリーライターのように仕事上の不利益の問題を抱えている人たちは、例えば日本著作権協会という団体を通じて、選択的夫婦別姓を推進する圧力を、議会に対してかけることができるかもしれません。そのようなことを考えてみました。

 


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