■進化政治学の体系的なテキスト
伊藤隆太さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
二冊目の単著の刊行を、心よりお喜び申し上げます。
進化政治学に関する理論的な内容を、教科書風に体系的に整理しています。日本で初めての試みであり、理論面で伊藤さまのオリジナリティがあるというよりも、現在急速に発展するこの分野の諸議論を体系的に整理した点に、評価すべき貢献があるでしょう。
進化人類学者のクリストファー・ボームは、「リバース・ドミナンス」という概念を構築したのですね(58)。これは面白い概念です。狩猟採集民族の社会では、独裁的な暴君は、憎まれて悪口を言われて転覆される。そこで人々は、ゴシップ、心の発見、意図の共有、投擲(とうてき)武器の使用、規範意識の形成、などの仕方で、独裁的な暴君を退けるための適応を図ったのだと。弱者が強者を覆す仕組みを作ることで、人類は独自の進化を遂げてきたのだというわけですね。
それからトリヴァースの有名な「自己欺瞞」の理論も紹介されています。これも本当に興味深い、大胆な仮説ですね。
これらの理論は、もちろんこれまで、さまざまな批判的検討に晒されてきたのでしょう。理論としてどこまで妥当なのか、私たちはじっくり検討しなければなりません。
理論家の視点で捉えると、こうした既存の理論を踏まえて、さらによい理論を構築して、理論上の発展を示す必要があります。
しかし進化政治学は、どうもこうした諸仮説を研究プログラムのハードコアに据えて、それ自体を批判の検討に対象にするよりも、むしろこれらを基礎的な理論ツールとして位置づける傾向にあるのではないか、という印象を受けました。これは応用的な諸科学が採用する方法論であり、体系化=パラダイム化を志向する科学であると思います。
細かいですが、213頁で、人類はなぜ「奇襲戦」だけでなく、他の動物と違って「会戦」や「消耗戦」をするのか、という問いは興味深いです。
ここは「会戦」と「消耗戦」を分けて捉えたほうがいいのではないか、と思いました。会戦は、奇襲戦と違って、戦争による政治的支配の「正統性」を確立することができます。消耗戦は、この正統性の問題とは別に、互いに負ける可能性、あるいは勝っても以前より富が少なくなるという問題を提起します。殲滅戦は、また別の問題を提起するでしょう。ここら辺は、さらに検討すべき興味深い点があるように思いました。
256頁以下の「戦争の定義」の問題は、なるほど重要ですね。この定義の違いで、歴史上、戦争が増えたのか減ったのか、という問題への回答が異なるからです。
また、戦争で「進化的ミスマッチ」、つまり勝利の過大評価が生じる、という論点も興味深いですね。戦争ではなくても、人間はある競争をするときに、自分の勝利を過大評価しないと、なかなか勝利できないという、そういう心理的なメカニズムがあるのではないか、と思いました。進化論的にはこれは「ミスマッチ」というバイアスの問題とされますが、それ以前の心理学では、これは戦意高揚のために必要な感情であり、決して不要なバイアスではない、と理解されるかもしれません。
こうした問題をめぐっては、具体的な事例において、例えばベトナム戦争において、アメリカはなぜ敗戦したのかを説明する際に、進化政治学の説明と、それ以前の政治学の説明を比較して、どちらがより説得的なのか、という検討をしなければなりませんね。そうした比較研究のなかで、新しい理論が生まれる可能性もあるでしょう。今後のご研究に期待しています。