■死んだらどうなるのか
橋爪大三郎『いまさら聞けないキリスト教のおバカ質問』文芸春秋
神は男なのか、女なのか、それともその両方の可能性があるのか。
この問いへの応答は、とても興味深く読みました。
また、人間は死んだあと、どのように存在するのか。
日本では、三回忌、七回忌などと繰り返すなかで、死んだ人は、残された人たちの心のなかで生きることになります。
しかしキリスト教(一神教)においては、まずどんな人も、生まれる前から、神によって生まれるように計画されていた。生まれる前は、神のなかにいたとされるのですね。
そして死んだ後は、残された人々が覚えているかどうかよりも、神が覚えているという点が重要なのですね。神が覚えているかぎり、人は存在し続けると。
そしてキリスト教の世界では、最後の審判が訪れる。最後の審判で、神は再び死んだ人に肉体を与えて、その人を存在させることができます。
後世に名を残すことよりも、神が覚えていることが重要であり、神の審判に耐えうるだけの人生を送ることが必要になるのですね。他の人間が覚えているかどうかは、それほど重要ではない。
これは人生観における大きな違いです。超越的なものと孤独に向き合う姿勢をもつかどうか。これがキリスト教などの一神教が求める姿勢なのですね。