■仲人は日本的経営の衰退とともに消滅した

 




 

阪井裕一郎『仲人の近代 見合い結婚の歴史社会学』青弓社

 

 阪井裕一郎さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 

 この本は「仲人」の歴史に焦点を合わせた点で、とても面白いですね。

 仲人の仲介による結婚というのは、1990年代以降に激減しました。1994年には63%でしたが、2004年には1%になった。これはほとんど消滅したと言っていい数字ですね。

 なぜ仲人は減ったのか。もともと仲人は、「村落共同体」を単位としていて、村落という帰属集団が、その再生産に関わる取り組みの一つとして、仲人役を制度化した。ところが村落共同体の崩壊とともに、今度は「家」が単位となって、仲人は、家と家のあいだの仲介を担うようになる。しかしこの「家」という単位もしだいに核家族化して、帰属集団としての機能を果たさなくなる(核家族には帰属意識をもつでしょうけれども)。

戦後になると、企業が帰属先の単位となる。すると仲人は、企業をコミュニティの基盤として機能したわけですね。ところが90年代になると、この企業共同体が崩壊していく。終身雇用制、年功序列、企業内福祉などの「日本的経営」が機能しなくなる。こうなると、配偶者との出会いは、誰がどのように設定していくのか。

90年代以降の情報化社会においては、新たな出会いも増えたかもしれませんが、他方で未婚率も高くなります。結婚するかどうかは、当人が帰属意識をもつ集団の問題ではなく、純粋に個人的な問題とみなされるようになる。しかしそうなると日本全体として、未婚化と少子化という問題が生じる。これが現在の状況ですね。

こうした社会の傾向を、リベラリズムはどのように捉えるべきでしょう。

一つには、仲人というのはお節介であり、結婚は純粋に個人的な問題として扱うべきだ、それによって少子化が起きても仕方ないという立場があります。これはリベラルな立場のようにみえます。

しかし最近では、地方自治体が婚活を支援する動きがありますね。また「大正デモクラシーの旗手」として知られる吉野作造は、仲人役を頻繁に務める「世話好きなおじさん」だったというエピソードもある。

「自己責任」社会ではいけない、という立場からすれば、仲人役は、後続の人たちの人生をケアする点で、倫理的に望ましいでしょう。ケアの倫理という観点から、お節介に結婚を仲介する。そういうリベラリズムを再検討する余地もあると思いました。

 


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