■晩年の小林秀雄はなぜ失敗したのか
橋爪大三郎『小林秀雄の悲哀』講談社メチエ
橋爪大三郎さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
一読して、これはとても重要な研究であると理解しました。本書は、小林秀雄に対するきわめて破壊力のあるパンチだと思います。晩年の小林秀雄は、本居宣長論の連載に取り組んだのですが、それは大きな失敗だったというのですね。
ではなぜ失敗だったのか。そしてもし成功させるとすれば、本居宣長をどう論じるべきだったのか。この二つの問題に、本書は答えています。
まず、小林秀雄はなぜ失敗したのか。端的に言えば、小林秀雄には、この日本社会がどうあるべきかについてのビジョンがなかった、ということですね。社会規範構想を論じるための枠組みがなかった。小林秀雄は、ただ本居宣長の肉声を聞くという、感性的な方法で、本居宣長のテキストと向き合っていた。
ところが本居宣長のすぐれた点は、彼の「肉声」にあるのではないのですね。書かれた「テキスト」にある。純粋に学問的に、自分の研究を成し遂げようとしたところにある。これに対して小林秀雄は、学者の学問というものを軽蔑していて、学者の学問がもつ意義を理解できていない。本居宣長がどのようにすぐれているのか。それは思想史を学問的に読み解くための知識と準備がなければならない。ところが小林秀雄には、それがないのですね。
これはきわめて厳しい批判であると思います。
本居宣長は、35年かけて『古事記伝』を書いた。国学を儒教から独立した学問として確立した。これはきわめて大きな達成です。
日本では平安時代以降、神道は、仏教に従属していました。江戸時代になると、今度は儒教と神道が融合します。しかし本居宣長の貢献によって、「国学」が確立すると、神道は、仏教や儒教と独立した世界として現れます。
国学は、日本の自前の思想である、ということになります。国学は、日本人のナショナル・アイデンティティを作るために必要な、神話を提供するのですね。そしてこの国学によって純化された神道は、大日本帝国の思想を提供します。
この国学と神道と大日本帝国の複合体、すなわちナショナリズムのイデオロギーを、私たちはどのように受けとめるべきなのでしょうか。本居宣長を論じるということは、このナショナリズム思想の源流をどのように受けとめるべきか、という問題になります。
古事記では、天皇の正統性が基礎づけられています。そして天皇の統治権は、人間に制約されない、とされます。国学や神道には、どんな政治政体が望ましいのかについての議論がありません。天皇の統治権力を絶対的なものとして正当化するのみです。そしてこの考え方は、明治期の日本の政治の在り方に、危険な示唆を与えます。
日本では、明治期の帝国憲法が効力を持つ前に、「軍人勅諭」と「教育勅諭」がくだされました。これらの勅諭によって、日本人は、帝国憲法に忠誠を示すかわりに、天皇に忠誠を示すことが求められました。それで結果として、帝国憲法が骨抜きになっていく。ここに問題がある、というわけですね(447)。
ところが小林秀雄は、本居宣長を論じて、そこから何を引き出したのかと言えば、(1)私たちは言葉のルールに縛られているが、そうであるからこそ自由である、(2)はじめに振る舞いがあり、そして文章があって、そこに意味が宿るのであり、はじめに意味があるのではない、ということ。これらは正しい洞察ですが、しかしそれ以上のことを小林秀雄はまったく論じていない。これは批評として失敗している、というわけですね。本質的で、厳しい批判だと思います。