■AIの進化とゼミのスタイルについて
AIの進化を受けて、研究と教育のスタイルが大きく変容しつつあります。この一年間で、次のようなことが可能になりました。
ChatGPTやGeminiなどのAIを使えば、
・卒論を書くことができる。(どんなテーマで卒論を書いたらいいですか、と尋ねると、テーマを提案してくれる。そしてAIが書いてくる。)
・レジュメを作成することができる。
・報告者の発表内容に対して、効果的な質問を作成することができる。
・パワーポイント資料を作成することができる。
・レポートや感想文を書くことができる。
・おすすめの本の紹介を書くことができる。・・・
つまり、ゼミの課題のほとんどを、AIがやってくれるようになりました。これはこの一年間のAIの進化によるものです。
AIは今後、研究者に代わって、研究論文を書くようになるでしょう。すると先生も生徒も、大学で何をすべきなのか。AIを使って、よい卒論や研究論文を書いても、その成果によって心が満たされることはないはずです。最近のAIの進化は、教育と研究の意義を、根底から覆すような事態を招いています。
私たちはいずれ、自分よりも高い知性をもった存在としてのAIに敬意を示し、AIに仕える奉仕人になるのかもしれません。すると一つの理知的な宗教が生まれ、これに帰依した人が高い社会的地位を獲得するという、新しい階層社会になるのかもしれません。これはまるで、ニーチェのいう「超人」の世界です。このように考えると、暗い気持ちになってしまいます。
いまの段階で、大学教育に必要なことは、まだAIができないことをする、ということでしょう。具体的に、
・プレゼンテーションをする。
・外国語をしゃべる。
・インタビューをする。
・グループでディスカッションをしながら作業を進める。・・・
こうした活動によって、大学生は、AIとは別の能力を磨いていくことができます。ゼミのスタイルも、このような方向に移行していきたいと思います。
もちろんこうした能力も、いずれはAIに代替されて、不要になるかもしれません。しかしそれは、まだ見通せない状況です。
問題は、「AIにできないことをする」という方針で教育と研究をすすめると、あまり重要ではない方向に進んでいくかもしれない、ということです。
例えば、卒論を書くことは、自分の知性と人格を発達させるための、よい機会です。AIに頼りつつも、自分なりの考えを論理的に記述して、その集大成として卒論を書くことは、この社会で生きていくための、重要な能力を養うでしょう。ある学生は、AIで書いた卒論を提出するかもしれませんが、別の学生は、自分の力で卒論を書き、自身の人格を大いに発達させていくでしょう。ですので大学側は、卒論を書く機会を、これからも提供していく意義があるのかもしれません。
しかしどうでしょう。AIで書いた卒論の方がすぐれた評価を得るようになると、私たちはやる気を失ってしまうかもしれません。努力しても人は評価されない、ということになってしまうかもしれません。いったいこれから先、どうなるでしょうか。AIの進化は速いので、その都度、自分の考えをアップデートしたいと思います。