■美徳と貧困とリベラリズム
寺尾範野『貧困に抗うリベラリズム イギリス福祉国家の思想史』慶應義塾大学出版会
寺尾範野さま、ご恵存賜りありがとうございました。
これは粘り強い、新たな思想史の達成だと思います。
19世紀のリベラリズムは、イギリスで「新救貧法」をめぐって議論を展開しました。その一方で、T.H.グリーンは、新しい内容の自由主義思想を展開します。そしてグリーンの思想を継承する形で、20世紀には「ニュー・リベラリズム」が展開され、戦後のシティズンシップ論へと継承されていきます。本書はその流れを追っています。
そして最後に、本書の思想的スタンスが示されます。
「第二次世界大戦後のイギリスと同様に、いやそれ以上に、今日において「道徳的であること」や「卓越」について語ることは、「きれいごと」として片づけられるか、あるいは特定の価値に基づいた生き方を強要する言説になりうるとして警戒される傾向にある。・・・だが、現代リベラリズムが目指す「公正な社会」が、誰も取り残さず、誰も排除しない「福祉社会」を意味するのであれば、そこには貧困問題があってはならないはずである。・・・今なお残る貧困問題を解決するにあたり、「市民」一人ひとりの社会保障と地域福祉へのコミットメントが求められるという状況に違いはないであろう。社会的リベラリズムの思想が現代の私たちに問うているのは、私たちの貧困問題に対する、私たち自身の道徳的なシティズンシップなのである。」(286)
戦後のリベラルは、「市民の美徳」を求めない、ロールズ的な再分配をよしとする立場=中立的リベラリズムになりました。しかしそれはおかしい、というのですね。ロールズを継承して、卓越を警戒し、中立的なリベラリズムをよしとする政治理論は、Quong (2010) liberalism without perfectionismによって展開されています。
現代のリベラルにとって問題は、この中立的なリベラリズムを克服して、ロールズ以前の伝統に戻り、美徳や道徳的なシティズンシップとの関係で、貧困問題を捉え直すことにあるというのは、その通りだと思います。
では、新たに美徳=卓越主義(perfectionism)を含んだ自由主義思想を展開するには、どうすればいいのか。この問題は、Quongを批判するKramer (2017)のLiberalism with perfectionismで展開されています。私はこのクレーマーの議論を発展させて、拙著『自生化主義』の第13章で、卓越主義的なリベラリズム論を展開しました。
では、美徳/卓越と自由主義(リベラリズム)の関係をどのように捉えて、貧困問題にアプローチすべきなのか。考えていきたいと思います。刺激的な問題を提起していただきました。