■みんなで決めるとなぜ正しいのか
訳者の皆さま、ご恵存賜りありがとうございました。
民主主義の意思決定のあり方を、本書は迷路のメタファーを使って説明します。ある集団が迷路で迷ったとき、どうやって意思決定をすれば、出口を発見することができるのか。出口を発見する手がかりは、迷路の壁に、いろいろな言語で書かれているとします。ピクトグラムや、方程式の形で、コード化されていることもあるとします。
このような条件の下で、迷路を脱出することが、集団にとっての課題だとしましょう。すると私たちは、民主的に意思決定した方がうまくいく、というのですね。もちろん、時間に制約がある場合は、解決策は異なってくるでしょう。
しかしどうでしょう。本書の著者を含めて、民主主義的な意思決定が望ましいと主張する人は、(1)解決策となる選択肢が、選択肢の中にすべて出そろっていること、そして(2)意思決定に必要な時間が無限にあること、この二つの条件を想定します。
迷路の例では、選択肢は、分岐する道のみです。ところが実際の政治においては、新しい選択肢=道が生まれます。新しい政策を誰かが提案することで、別の方向に向かうことができます。また、実際の政治においては、意思決定の時間は制約されています。この二つの条件を導入すると、民主的な意志決定は必ずしもうまくいかない、という議論になるでしょう。
著者も認めるように、「結局、集合的意思決定の最も賢明な形態は混合政体である」(31)ということかもしれません。しかし本書は、意思決定の純粋な形態に焦点を当てるのだ、と言います。
本書の独自の主張は、ロールズのいう「公共的理性」との対比で、「民主的理性」を擁護することです。理想化された公衆の理性の用い方を前提とするのではなく、とにかく分散した知性を集団で用いる。そうすれば理性は最終的に、熟議を通じて公共的なものになっていく、というのですね。
公共的理性と民主的理性の対比。これは面白いですね。
ここで民主的という言葉には、「認知的多様性」の意味が含まれています。ポピュリズム的な多数派の、画一的な理性ではないのだと。しかしどうも本書の「認知的多様性」の定義は、統計学的なテクニカルな次元にとどまっているように見えます。
この定義とその背後にある規範理論的前提を掘り下げないと、いくつかの根本的な問題に、有効な解答を与えることは難しいでしょう。実際、本書の著者が告白するように、闘技的な多元主義の異議に対しては、「他のどのような規範が正統に合理性に取って代わることができるのかがわからないということを告白しなければならない」(178)としています。
たとえば熟議をしたとして、その熟議は、合意をもたらすのではなく、むしろ対立を明確にし、不合意を構造化することがあるでしょう。そのような場合、どうすればいいのでしょうか。意思決定には、時間の制約があります。私たちが一度に議論できる内容も、制約されています。このような前提の下で、熟議は必ずしも合意をもたらしません。
こうした制約を克服する一つの方法は、無作為抽出(くじ引き)で、抽選で裏ばれた人たちが個々のテーマについて議論する、というものでしょう。
本書の後半では、いろいろな規範理論が検討されていて、興味深いです。いずれにせよ本書は、統計学的な知見に基づいて、認知的多様性に基づく民主主義的な意志決定は、平均的な個人の意見よりも、正しい可能性があるというのですね。
本書は、民主的な意志決定よりも正しい可能性のある意思決定については、否定していません。例えば、シンガポールのリー・クァン・ユーのような統治者の例もあります。また本書は、民衆の知性が非理性的になる可能性についても、「認知的多様性を油断なく維持するだけでは十分ではないかもしれない」と認めています(下200)。
やはり「認知的多様性」をどう理解するか、という問題が重要でしょう。
民衆は、議論を通じて、なぜ画一主義(コンフォーミズム)を避けて、熟慮のある合意に達することができるのか。その説明は、前提となる「認知的多様性」の概念に依存しているか、あるいは熟議のプロセスに依存しているか、その両方であるかです。
最初の迷路の例に戻って考えてみると、民主的な意志決定が、公共的な理性の使用よりもすぐれている理由は、そもそも、問題解決の力が、ある特定の個人の能力に依存しているからです。ただし、それが誰の能力に依存しているのかについて、あらかじめ特定したり推測したりすることができないという前提です。問題を解決する力は、公共的理性にはない。諸個人に分散した、公共性とは関係のない、個々人の能力にこそある。
民主主義とは、個々人に分散した問題解決能力を、その都度、有効に活用するシステムだということですね。言い換えれば、理想の政治システムとは、限られた時間の下で、個々人に分散した問題解決能力を、最大限に有効活用することである。それが民主主義の理想ではないかと思いました。