■那須耕介さんの新しい本

 


 


 

那須耕介『つたなさの方へ』ちいさいミシマ社/『那須耕介さん追悼論集』(非売品)

 

 那須耕介さんが昨年97日に永眠されて、一年が経ちました。耕介さんは私と同い年で、私の分身の一人でもありました。

この度、耕介さんの新しい著作が刊行されました。京都新聞のコラムを集めたエッセイ集、『つたなさの方へ』です。ちいさいミシマ社より刊行されました。

とても魅力的な文章と内容です。ミシマ社によるデザインも洗練されています。装丁とレイアウトは、クラフト・エヴィング商會によるものですね。すばらしいです。表紙のデザインだけでなく、文字の字体や写真など、随所にこだわりのある本に仕上がっています。珠玉の作品集であり、耕介さんの人となりをよく表していると思います。

本書に収録されているコラムは、20197月から20218月まで、隔月で新聞に掲載されたものです。それからもう一つ、新聞では没になったエッセイも、本書に収録されています。これはテーマとして体罰を扱ったものであり、新聞に載せることが難しかったのでしょう。

 これらのエッセイは、耕介さんが死の直前まで書いたものであり、耕介さんは、このエッセイを書くことで、人生を振り返ったというよりも、書くことそれ自体を通じて、よく生きることにつながったのだと思います。

 エッセイの内容は、とくに人生の生死にかかわるものではないのですが、また人生全体を主題化しているわけでもないのですが、一つ一つの内容はとてもユニークで、練られていて、かみしめる価値があります。

 この本のタイトル「つたなさの方へ」とは、収録されているエッセイの一つのタイトルでもあり、それは次のようなメッセージです。

 エッセイというのは、自分の好きなことを自由に書けばいい。エッセイに限らず、私たちは、自分で好きなことをして生きればいい。自分で好きなことをするときに、私たちは自由であると感じます。「慣れ親しんだ環境で、使い勝手のいい道具を手に、楽々と思い通りにふるまうこと」は、自由の経験であります。

しかしそうした自由な振舞い方では、何かが足りない。私たちは、自分が慣れ親しんでいない環境に、出ていきたくなる。そして、自分ではうまく使えない道具を使って、つたなく振る舞うことに、かえって自由を感じることがあります。私たちは、そういう「新しい自由の扉」を開けたくなることがあります。うまくいきそうにないけれども、それでも新しい自由の扉を開けたい。つまり人間は、つたない方に向かって自由になりたいという、そういう欲求をもつ存在だということですね。

 本書『つたなさの方へ』と同時に、『那須耕介さんの「ま、そんなもんやで」 那須耕介さん追悼論文集』(非売品)も刊行されました。

 この本は非売品であり、出版社を通していません。京都大学の服部高宏先生が、ご自身でDTPソフトを習得し、最初から最後まで一人で編集作業をしたものを、印刷所に持ち込んで完成させました。この本の編集委員の皆様と、とりわけ服部先生のご尽力に、心より感謝いたします。

 この追悼論集は、当初の予定の倍近い執筆者にご寄稿いただき、充実した内容になっています。写真も豊富で、なかには、服部先生がわざわざこの本のために撮影した風景写真も載っている、と伺っています。

 第一部は、家族、親戚、幼少のころを知る方々、中学・高校・大学の友人、議論し、意見を交わした仲間、音楽にかかわる仲間、狂言の師匠、社中の方々、一緒に家を建てた方々、耕介さんと生活を共にされた方々からの言葉です。

 第二部は、大学の恩師、同門の先輩後輩、法哲学、公共政策における研究仲間、摂南大学・京都大学の同僚、学部や大学院の教え子など、耕介さんと研究や教育をともにされた方々からの言葉です。

 二段組みで、全体で181頁。かなり多くの原稿が集まりました。原稿の依頼の仕方が徹底していたのでしょう。耕介さんは、豊かな人間関係に恵まれたと思います。

 私はこの一年間、耕介さんからいただいた音源を、たくさん聴いてきました。新しい音楽に触れるときにも、「これはたぶん、耕介さんが買うのではないか」というCDを、私は細心の注意で探すようになりました。不思議ですが、いまでも私は、耕介さんと音楽の対話をしています。それはおそらく、耕介さんの音楽に対するセンスが、私よりも一歩先に進んでいたからでしょう。那須耕介さんの音源から、これからも新たに学びたいと思います。


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