■87歳、研究の到達点
折原浩先生、ご恵存賜り、ありがとうございました。
折原先生は、87歳にして、この本を刊行されました。まさに偉業であります。80代にして、ご自身の研究を総括するという、研究者としてなすべき、あるいは研究者として成し遂げたいと思う、人生の到達点を示していると思います。
もちろん、研究業績の観点からいえば、折原先生の最高の成果はこれまでの著作の中にあるのでしょう。しかし研究人生を振り返るとき、どのような眺めになるのか。どのような自己評価になるのか。これはとても興味深いことであります。
この本の前半は、これまでの研究を振り返るさまざまエピソードから構成されています。後半は、ウェーバーのテキストの読解から成り立っています。
前半のエピソードは、とても豊富で、折原先生がこれまでいかに論争的であったかをよく示しています。しかも一つ一つの出来事に対して、折原先生は、その都度、省察を残して研究人生を歩んでこられました。これは研究者の一つのロール・モデルであり、これから後続の方々に参照されていくでしょう。
本書で興味深いのは、ウェーバーが日本の資本主義の発展をどのようにとらえていたか、という点です。ウェーバーによれば、明治開国前後の日本は、資本主義の導入を阻止するような宗教的・伝統的な要素がなく、その意味では「白紙状態」で、上からの近代化と資本主義化を進めることができたというのですね(118)。
しかし折原先生は、これに異議を唱えています。日本の資本主義をどう捉えればいいのかについては、これからもっと慎重に検討しないといけないけれども、折原先生の初期の理論、「マージナル・マン」論からすれば、ウェーバーのいう白紙状態とは、マージナルな世界における坩堝(るつぼ)として捉えることができる、というのですね。
本書後半のウェーバーの「ヒンドゥー教と仏教」の読解では、日本で「救い主」の威信をそなえた社会層が跋扈していなかったことが、「白紙状態」の一つの要素であるとの解釈が示されています(258)。