■経済成長か、それとも少子化対策による長期的繁栄か

 



 

野原慎司『人口の経済学』講談社メチエ

 

野原慎司さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 

スミスなどの古典派から得られる規範的含意は、人口を増やすためにはできるだけ所得を平等に分配して、貧しい人でも子どもを産み育てられるようにすればいい、というわけですね。むろん経済的に豊かになると、反対に、子どもを産まなくなることもあります。十分な資産があれば、リタイアした後に、子どもに世話にならなくてもよいからです。この観点からすれば、老後の生活保障を充実させると、人はあまり子どもを産まなくなる、ということになるでしょう。

所得の再分配を強化したら、経済成長はあまり見込めないかもしれないけれども、人口が増える可能性がある。そうであれば、国の長期的な繁栄という視点に立って、所得を平等化したほうがいいですね。しかし本当にそうなのか。経済学史や経済思想史は、それだけでは答えてくれません。

例えばケインズは、定常人口のもとでは、「より平等な所得分配によって消費を増加させる政策、および、生産期間の大幅な延長が有利となるように利子率を強制的に引き下げる政策」が、必要であると主張しました。

実際にはこうした政策が難しいことを、ケインズは理解していました。しかしうまくいけば、人口が減っても、一人当たりの生活水準が改善されます。

ケインズはなぜこのように考えたのか。それはケインズが、民族間・人種間の生存競争という「帝国主義的な世界観」を捨てて、どの民族が人口を成長させるかということには関心を持たずに、その意味でコスモポリタンの視点を持っていたからですね。

しかしケインズは、他方では帝国主義的な発想も持っていた。それは白人の生活水準を上げて、有色人種の人口を抑えるような政策が望ましい、という視点です。どうやってそれを実現するのか。これは、帝国主義、進化論、生存競争というものを、いかにして克服しうるのかという問題でもあります。本書を読むかぎり、ケインズはあまり深い考察を残しているわけではなさそうですね。

 またこの点で、ケインズ以外に、規範理論的にみて魅力的な議論を立てている人はいないように見えました。

 蛇足ですが、社会的投資国家の観点からいえば、ミュルダール夫妻のまだ翻訳されていないスウェーデン語の1934年の著作、Kris i befolkningsfråganが、人口と平等と社会的投資の関係で、重要なのではないか。英語にも訳されていないようですが、誰か訳してほしいと思います。


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