■高田保馬の超然主義
吉野浩司さま、牧野邦昭さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
高田保馬の自伝を、このような書籍として出版されましたことを、心よりお祝いするとともに、心より感謝いたします。
私もこれまで、高田保馬に大きな影響を受けてきました。どうしてこれほどの理論家が生まれたのか。高田はどんな人生を生きたのか。プライベートな生き方からも学びたいと思わせる、偉大な学者ですね。
本書の底本は、1957-1978年に『週刊エコノミスト』に連載された「私の追憶」というエッセイなのですね。文章がとても練られていて、文学的な作品としても読むことができます。以下に、印象に残った部分を引用します。
「超然主義
学校関係におけるすべての集団的活動を離れる。孤高の生活を営む。これを超然主義というならば、私は善意の超然主義の学生であった。私は学生生活をつづけるにしては十分ともいうべき学費を兄に受けていた。兄は進みて卒業後、外遊せよとすすめていた。その用意もあったはずである。子がなかったので、一人の弟を仕立ててやろうという愛情に包まれた私は仕合せであった。学生生活を二年の延長したのを毛ほども咎めることもなかった。
学生時代の私は服装においてあまりにも質素であった。田舎の高校生の時のままを改めず、足袋ははかず、頭髪は二分刈、しかもそれは友人との刈り合いである。制帽は一度なくしたのでそれから無帽である。九つ年上の郷里の姉の仕立てた衣類も、少し上等のは着用しなかった。大学の廊下をいつも跣足〔はだし〕で歩いていた。孤高超然が私をこうさせたのである。当時、京都の新聞は京大文科の奇人として兼常清佐と高田とをあげていた。」(44)
この高田の超然主義に、学ぶべき点が多いですね。
もう一つ興味深いのは、高田の思想が、平等主義から無政府主義へと「思想流転」した、ということです(189-)。高田は、スペンサーやジンメルに大きな影響を受けます。自由主義的な社会学に、影響を受けます。しかし高田は、戦時中は、権威主義や保守主義なナショナリズムのもつ意義を理解していましたし、実際に、大日本帝国を擁護する世界観を構築しました。
高田が戦争をどう反省したのかについては、この自伝には書かれていません。この自伝は、1930年くらいまでの追憶をまとめたものです。
高田は戦後になって、ナショナリズムを中核とする帝国主義から、カント的な世界政府論の方向に、思想を転換したことが分かります。戦後の高田の思想的動揺と、その後の思想の再構築について、舞台裏を知りたいと思いました。そのようなことは、戦後の高田の日記に書かれているでしょうか。だとすれば、読みたいです。