■スマホ依存とAI時代の「日常消費」とは
株式会社インテージ『なぜ日本人は、それを選ぶのか?』朝日新書
この本は、興味深いアンケート調査をーの結果を報告しています。いくつかメモを記します。
2019年から2024年にかけて、テレビの利用時間はほとんど変化していないのに対して、パソコンの利用時間は約20%増加しました。スマートホンの利用時間は、約40%増加しました。人々はますます「画面」を見て過ごす時間が長くなっています。
スマホの場合、SNSの利用時間は、全体の27.3%。TikTokの利用時間は、2024年に平均で1時間になりました。動画については、1分以下の動画の視聴割合が、全体の54.8%になりました(2025年)。
Z世代(1997-2009年生まれ)の20代の人たちで、Xのアカウントを持っている人は6割しかいません。しかも、Xの情報を信頼できると答えた人は、全体の10%強しかいませんでした(242, 250頁参照)。つまり若年層の人たちは、SNSを利用しているのだけれども、同時にSNSはあまり信頼できないと考えているようです。
問題は、情報が断片的かつ大量になってきたことです。これはつまり、論理的に考えるよりも、直観的に判断することが増えてきたのではないか。偏った情報にさらされているわけではないとしても、断片的かつ大量の情報環境は、私たちの生活をどのように変えていくのでしょうか。
第四章第二節は、この本の理論的な枠組みを示しています。それは、「日常」や「ふつうの暮らし」という言葉の意味を考えるためのヒントになっています(とくに283-287頁参照)。
1. 多様化――選択の起点が「属性」から「文脈」へ移る。
例えば「20代女性」といった属性による消費選択は、一定の傾向を示さないようになりました。「20代女性」といっても、多様なのですね。消費の選択は各人のその時々の文脈に依存するようになってきた。
私たちにとって「日常/ふつう」とは、属性ではなく、個々の文脈に埋めこまれた消費選択になっています。それは言い換えれば、自分の社会的な属性が後景に退くということでもあります。社会的属性から離れた「日常」が、社会的に構成されています。
2. 賢堅消費――選択の「前段」の「安心を確保する工程」
これは、失敗したくない、損をしたくないというリスク回避傾向のことです。商品のレビューを読み漁り、比較サイトを巡回する。そして安心材料が集まった範囲内で、商品を選択する。そのようなリスク回避傾向が生まれています。「日常/ふつう」というのは、このような安心の消費であり、冒険しないことでもあります。
3. 個人最適――選択の基準が生活者の内側から生まれる。
選択の基準は、「みんながよいと言うから」ではなく、「私にとってよい」という判断になります。これはつまり、インフルエンサーにそれほど影響されていない、ということかもしれません。「日常/ふつう」というのは、ここでは、生活世界の自律性、つまり生活の外部にある意見に左右されていない感覚、といえるかもしれません。
それは他者との接触を避けるのではなく、むしろ多様で大量の情報を摂取して、自分で処理して判断するということ。そのような情報処理のセンスを大切にするということかもしれません。前提として、人々は個々の他者に影響されるよりも、大量の情報を摂取して判断している、という現実があります。
4. リキッド消費――選択が「積み上げ式」から「流動式」へ変わる。
これは、過去の選択履歴がリセットされる、ということです。ブーム(流行)や自分の関心も、短いトレンドになっています。これもまた、大量の情報を摂取するという生活環境から説明できるでしょう。この場合の「日常/ふつう」とは、昨日と同じ選択を繰り返すという習慣的な行動ではなく、いつもの消費ではないけれども、必要な時に必要なだけ消費する、その日の気分で決めることができる、物質的なものよりも体験的な消費に移る、という意味になります。典型例は、サブスクによって動画や音楽やニュースを摂取する、というスタイルです。サブスクして、同じサイトを利用しているのだけれども、中身は毎回異なります。このような日常に対比される生活は、「積み上げ」や「計画」や「習慣」の生活と言えるでしょう。リキッド消費の生活は、縛られていない自由な日常です。
以上のような「日常/ふつうの暮らし」は、「自由な生活」といえます。と同時に、AIのアドバイスによって影響される生活でもあります。AIは、文脈を読む力があり、要点をまとめる能力があり、ユーザーに合わせて回答する能力があり、その都度、情報をアップデートして、再現性のない答えを出すことができます。問い方に応じて、答えを変えることもできます。
つまり現代社会においては、たんに情報が大量になっただけでなく、資本主義の論理とAIの発展が結びついて、消費生活を駆動している。そのような駆動原理としての日常が成立しているともいえます。
属性に縛られず、冒険がなく、特定の他者に依存せず、積み上げるべき生活がなく、人生の計画がなく、慣習に縛られることもない。そのような自由で安心できる「日常/ふつう」の暮らし。このような日常の消費スタイルに、環境消費とその意味づけも左右されるでしょう。消費者は、日常生活において、環境問題・気候変動問題をどのように受けとめるのか。以上の枠組みを用いて解釈できそうです。