■二つの公共空間:人格性と匿名性


 カシミール・ヒル『あなたの顔はわたしたちのもの 顔認証AIの誕生と、プライバシーの終わりの物語』高橋則明訳、実務教育出版

 

実務教育出版編集部さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 

 顔認証をAIによって高度化する技術は、人々のプライバシー権と両立しません。しかし現在、国家はこの技術を必要としているので、この技術を国家に売り込むベンチャー企業が参入して、産業が成り立つのですね。

 クリアービューAI社は、顔画像の収集と分析をしています。それが人々のプライバシーをどの程度侵害したのかについての訴訟は、まだどうなるか分かりません。

おそらく訴訟の着地点は、社会の安定、経済利益、プライバシー、国家の安定など、いろいろな要求をバランスよく満たすものになるでしょう。

CCTVによる顔認証も、その情報の収集によって、国家に抗議する人たちの社会運動を萎えさせるようになると、問題です。国家に抗議すると、強い監視下におかれる。このような社会は、自浄作用を持たないからです。

しかし中国では、監視カメラに捉えられない権利というものが、特権階級の一つの特権なのですね。「レッドリスト」の人たちは、監視されない自由がある。

この他、米国の社会運動団体「ファイト・フォー・ザ・フューチャー」は興味深いですね。ヨーロッパでも類似の団体があるようですが、顔認証禁止(「あなたの顔を取り戻せ」)のキャンペーンを行いました。

私たちの顔は、誰のものか。これは公共的な空間においては、公的なものであり、自分は自分の顔について、プライバシーを要求できない、と思われるかもしれません。しかし公共的な空間には、二つの種類があります。

一つは、各人が一人の人格として現れる公共空間です。もう一つは、匿名性をもった人間として現れる社会的空間です。後者の空間は、重要です。自分が特定されないことによって、コミュニケーションが円滑になることがあります。各人は、自分を守りながら人と関わることができます。

 こうした匿名的なコミュニケーションによって、私たちは近代社会を繁栄させてきた、という面があります。この領域を、どこまで権利として守ることができるのか。この問題もまた、社会の安定、経済利益、プライバシー、国家の安定など、いろいろな要求のバランスの問題、ということになるのかもしれません。

このブログの人気の投稿

毎日新聞のインタビュー記事につきまして、訂正します。

■現代リベラリズムはどこへ行く

■「天」と「神」の違いについて