■水田洋先生、大著の監訳!
エリック・ホブズボーム『いかに世界を変革するか』水田洋監訳、伊藤誠、太田仁樹、中村勝己、千葉伸明訳、作品社
水田洋さま、ご恵存賜りありがとうございました。
ホッブズボームの晩年の大著の翻訳です。マルクスとマルクス主義の200年を描いています。
それにしても水田洋先生はこの本訳書を2017年に刊行されているということは、その時点ですでに98歳ですね。日本語版解説「著者エリックについて」を読みましたが、とても鮮やかかつ明晰に著者の人生と研究が描かれていて、この時代の研究のエネルギーを感じることができました。
1917年生まれのホッブズボームの父は、1929年に亡くなり、母も1931年に亡くなる。14歳にして両親を失った彼は、叔父(おじ)のシドニーを頼って、ウィーンからベルリンに移って生活する。そのころから「社会主義生徒同盟」に参加したりしているのですね。しかしヒトラーが政権をとると、彼はユダヤ人なので、迫害を恐れておじといっしょにイギリスに渡ることになる。そこで高校生活を送るわけですね。
ホッブズボームは猛勉強して、ケンブリッジ大学のキングズ・カレッジに合格します。大学では、講義を聴くよりも、図書館を利用することのほうがはるかに有効であることに気づいて、最初の一学期以降は、ほとんど講義に出なかったようですね。ただ一つだけ出た講義があって、それはボスタン先生の講義。ボスタンはベッサラビア出身で、当時、東ヨーロッパ情勢について講義していた。左翼の学生たちはみんな聞いたのだというのですね。
なるほど背景にあるのは、ナチスvs共産主義、という当時の政治的構図です。ホッブズボームもボスタンも、亡命知識人として、イギリスで活躍した。
[ベッサラビア]Wiki情報
1806年の露土戦争の結果、ルーマニア人のモルダビア公国領を、当時宗主権を持っていたオスマン帝国がロシア帝国に一部割譲した際に、割譲した公国東部地方をロシア側が指していった名称である。モルダビア公国の残余部分は1859年、ワラキア公国と同君連合を形成し、1881年にルーマニア王国となった。1918年、ベッサラビアは革命後のロシアから独立を宣言。第一次世界大戦終結時にはルーマニア王国と合併した。第二次世界大戦初期の1940年、ソビエト連邦はベッサラビアを併合。1941年から44年までのルーマニア占領期を経て、大戦末期の1944年、ソビエト連邦が再占領し、モルダビア・ソビエト社会主義共和国に再編した。北部と南部の一部地域はウクライナ・ソビエト社会主義共和国に組み入れられた。1991年、モルダビア・ソビエト社会主義共和国はソビエト連邦から独立を宣言し、モルドバ共和国となった。