■闘争が壊滅するとき
那須耕介さま、ご恵存賜りありがとうございました。
ラディカル左派の運動家の北沢さんの人生が、後半のインタビューで語られています。
「「火炎ビン」のあと、ぼくが共産党と対立する時期になると、「査問」というやつが出てくるわけ。高史明さんの本にもありますよね。そうなると、ぼくは家に隠れる。母親なんか雰囲気を感じて、呼び出しの人間を追い返したりしていた。それから、捕まったとき、保釈金を親が出してくれるわけ。組織に支援体制ないし、大きな家じゃなかったけどね。これ一種の転向やね。自分のかかげた、戦後左翼の理想がここで崩れる。要するに、家とは別のところでも生きていけるというのが、その時代が与えてくれた勇気だった。世界は開かれている、どこへ行ってもいい、たたかう勇気さえあれば生きていける、そういう時代だった。しかし、闘争が壊滅して、査問も激しくなって、仲間同士で指さしあう時代になっていった。でも、一緒に捕まった連中の間には、ある感情があるね。一種の戦士共同体、今でもありますよ。」(190)
闘争が壊滅状態に追い込まれるとき、最後の砦となったのは、それまで否定し続けてきた「自分の家」であり「母親」であった、ということなのですね。