■コミュニタリアニズムによる社会契約論の問い直し
菊池理夫さま、ご恵存賜りありがとうございました。
現代コミュニタリアニズムの観点から、社会契約をめぐる思想史を評価した大著ですね。これまでの研究の集大成のように見えます。
ロールズのいう共通善は、結局のところ、共有された正義という善であって、それでは不十分だというわけですね。
それでもっと共同体的な価値の共有が必要だというわけですが、その場合の共同体のイメージとして、渡辺京二『逝(ゆ)きし世の面影』(1998)に描かれている、幕末から明治にかけての西洋人の旅行記があると。それらの旅行記では、日本の民衆の方がより自由で平等である、という記述が多いのですね。
国家に対抗する民衆の自治力というものは、団結力であり、そこには共通善があったというわけですが、するとその場合の「共通善」とは、国家よりも小さい「地域」単位のものになるでしょうか。また、そのような市民的な自治力のエネルギーを、回顧的な視線で再興しようという場合、問題となるのは、それを国家レベルに拡張する際の連帯の想像力を、どのように描くのかという点ではないか。そのようなイメージの拡張をどのようにして正当化するのか。コミュニタリアニズムの思想的企ては、そのための思想史的資源を集めて検討することにあるのでしょう。