■なにが基本財か?って考えてみると難しい





井上彰編『ロールズを読む』ナカニシヤ出版

佐藤方宣さま、若松良樹さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 認知心理学では、「よく定義された問題(well-defined problem)」と「うまく定義されていない問題(ill-defined problem)」を分けるのですね。例えば、どんな人生計画を立てるべきかという問題は、「うまく定義されていない問題」です。目標も、選択肢も、また各選択肢を選択した場合に生ずる事態についての見通しも、不明確だからです。
 これに対して「私たちは社会全体としてどんな正義原理を採用すべきであるか」という問題は、もう少しうまく定義された問題である、ということになるでしょう。
 ここで考えてみたいのは、私たちの社会における「基本財」というものが、なぜ特定できないのかについてです。個々の人間にとって、自身の人生計画がどのようなものであるべきなのかは、難しい問題です。これに対して、個々の人間にとって何が基本財であるのかは、分かるということになるでしょうか。
さまざまな人たちが集まって、社会全体で何が「基本財」であるのかを決める場合、あまりにも情報がありすぎて、合意にいたらないかもしれません。
 また、個々の人間にとっても、自分にとってどんな財が基本的なものとして最低限必要か、複雑すぎて分からないのではないでしょうか。
加えて言えば、はたして基本財は、貨幣という非特定的な価値をもったもので分配されるべきかどうか。この問題に答えることも難しいです。そうだとすれば、基本財の分配問題は、「うまく定義されていない問題」だということになります。
 この最後の点について、現実的に説得力のある説明は、基本財については、特定のモノやサービスで支給ないし分配するよりも、貨幣で支給したほうが、コストが安い(それだけ貨幣経済がすでに発達している)というものでしょう。しかしこの発達した貨幣経済を前提とした場合に、基本財を貨幣で支給することの意味は、たんに「コストが安い」ということに還元されるのかどうか。
貨幣によって基本財を支給すると、各人はその貨幣を通じて、「選択の判断をその都度変更できる(学習しうる)」ことになります。するとこの「選択の変更可能性」というメリットも、基本財の一部になるのでしょうか。
あるいは、基本財として支給された貨幣を、ギャンブルに費やしてしまった場合には、特別の扱いを受ける権利をもつでしょうか。基本財としての貨幣を、自分にとって必要な基本財に変換することができなかった場合、なにか補償を受ける権利も基本財の一部になるでしょうか。このように考えてみると、基本財の水準をめぐっては、一定の人格像を想定する必要がありそうです。
いずれにせよ、基本財の望ましい水準のあいまいさは、ある現実的な水準を超えて、政府が社会福祉を提供する政策的余地を与えています。


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