雑感:最近の研究生活を振り返って(2024)



 

 去る1222日に、次の著作の原稿を入稿しました。これで一息つきました。

この12月は、私の人生のもう一つの山だったと思います。以下に、最近の研究生活を振り返って記します。

 実は11月末には、別の依頼原稿の締め切りがありました。こちらは、20251月号の雑誌『現代思想』に掲載される予定です。掲載予定の拙稿のタイトルは、「自由であるとはどういうことか?」という、頂いたお題であります。自由は、なぜ根本問題になるのか。根本的なことを、やさしく論じました。『現代思想』1月号の特集のタイトルは、「ビッグ・クエスチョン」。世の中には、いろいろなビッグ・クエスチョンがあるのでしょう。私は自由について論じたのですが、同時に、私の研究人生を振りかえるよい機会にもなりました。編集者の塘内さんにお礼申し上げます。

 先日入稿した原稿ですが、こちらは来年の3月下旬に、筑摩書房から刊行される予定です。私は当初、『人生の理論』とか『人生の選択理論』というタイトルを想定して執筆していたのですが、編集者の石島さんの提案で、タイトルは『「人生の地図」のつくり方』となりました。加えて、副題がつく予定です。

石島さんには、2年前の拙著『消費ミニマリズムの倫理と脱資本主義の精神』でもお世話になりましたが、今回は石島さんの気合が違っていて、入稿前の段階から、私の草稿全体に、石島さんのていねいなチェックが入っています。また、章や節のタイトルもすべて、石島さんの提案によって、読者に伝わる言葉になりました。今回は、石島さんの全面的なサポートとプロデュースに頼っています。そのおかげでフレンドリーな本に仕上がるのではないかと期待しています。

この本についてもう一つ。これは私からみると異常なのですが、デザイナーさんと石島さんのあいだで、本文のデザイン(体裁)をどうするかについて、何度もやり取りをしてよいものにしたというのです。この意味、分かりますか?俄かには分かりませんね。

 この本の執筆は、ひょんなことからはじまりました。コロナ前の2019年の夏に、スイスのチューリッヒ空港の書店で、ある本を見つけたのです。Roman Tschaeppeler and Mikael Krogerus, The Decision Book: Fifty Models for Strategic Thinking, New and Updated edition, London: Profile Books Ltd, 2017.です。第1版は、邦訳があります。またNorton社から、さらに加筆された第2版が刊行されています。

この本は、世界的なベストセラーということですが、全体の半分が図で、残りの半分が図の簡単な紹介という、安直な本です。図の説明は簡易すぎて、それが何を意味しているのかよく分かりません。それでも大いに発想を刺激されるところがありました。

 この本の内容の多くは、経営学の理論です。最近では、企業人向けのセミナーや、MBAコースなどで教えられている内容です。その意味で、この本は、ビジネス人にニーズがあると思うのですが、私はここから、経営学の哲学を展開できるのではないかと直観しました。図で描かれていることはシンプルで陳腐なのですが、逆にいえば、それをどう掘り下げるかによって、ビジネスの世界から深い思想の世界に入っていけるかもしれないと。

 『「人生の地図」・・』は、私にとって、はじめての経営学の本になります。これを「経営哲学」と表現すると、経営者の人生論のように聞こえますので、「経営学の哲学」と表現すべきでしょうか。類書はありませんので、イメージしにくいかもしれません。

しかしそもそも、経営学に哲学はあるのか、という疑問もあるでしょう。実際にはなかなか難しいのですけれども、私はこの分野を開拓できると思いました。本書は、私の「自生化主義」や「成長論的自由主義」の思想を、ビジネスの実践と理論に即して拡張するものでもあります。

 この年齢になってようやく分かるのは、ビジネスの理論というのは、他の分野の人生にも応用できるものであったりして、私たちの人生にとって、普遍的なことを議論しているということです。ようやくその面白さが分かるようになりました。

 この『「人生の地図」・・』のおそらく最大の貢献となる部分は、野中モデルを批判して、これを批判的に発展させたことにあります。野中郁次郎は、日本を代表する経営学者であり、おそらく日本で最もオリジナルな経営理論を構築した人でしょう。拙著ではその理論を哲学的な次元で批判して、新しい理論を構築しています。野中モデルを越えよう、というのが私の野心でした。もっとも、これを説得的に論じるためには、私は英語で学術論文を書く必要があります。

 この12月は、もう一冊の本の草稿を書き上げました。これがどういう形で出版されるのかは未定ですが、内容としては、私の『自由原理』と並ぶ主著になるものです。これまで私が書いた論文や草稿を、体系的な観点からまとめています。この本の執筆は、私の人生にとって、一つの大きな山でありました。とりわけ、この夏から12月までは、二冊の本を同時に書き進めてきましたので、緊張が続いていました。

 振り返ると、拙著『自由原理』(2021)の執筆は、私にとって人生の大きな山であり、また昨年(2022)Liberalism and the Philosophy of Economics の執筆は、さらに大きな山でした。そしてこの12月に、もう一冊の本の草稿を書きましたので、ここまで私は、山々の脈を歩いてきたような感覚です。もうこれ以上のものは書けないと思いますので、私はここから、山をくだることになるでしょう。人生の終盤に向かうでしょう。

 私はこの12月で、56歳になります。56歳と言えば、マックス・ウェーバーが亡くなった齢でもあります。マルクスは、48歳で『資本論』第一巻を刊行し、64歳で亡くなりました。マルクスは57歳のときに『ゴータ綱領批判』を書いていますので、私もマルクスに見習って、来年は一つ、現代の日本政治に対して、何か書こうと思います。いずれにせよ、この年齢になると、研究者としては、ウェーバーに照らせば「おまけ」のような時間であり、マルクスに照らせば「晩年」と呼ぶべき時間です。

 しかし、そうはいっても、例えば、ハイエクが『法・立法・自由』を書いたのは70代であり、柄谷行人は、昨年、81歳で『力と交換様式』を刊行されました。デヴィッド・ハーヴェイは『反資本主義』を85歳で刊行し、その邦訳が最近刊行されました。人生、80代になっても執筆する思想家が多いという、そういう時代になったのですね。恐ろしいことです。

 一方で、今年は、立岩真也さんが62歳で逝去されました。2020年には、デヴィッド・グレーバーが59歳で亡くなりました。二人の精力的な探求に、私は大いに刺激を受けてきましたので、とてもショックです。心からお悔やみ申し上げます。私も、残された時間は短いと自覚しています。

その一方で、井上達夫先生や大澤真幸先生は、現在もなお精力的に、新しい学問を展開されています。現代日本において、思想を論じることの意味、そしてまた、何をどのように論じるべきかについての指針を、私はこの二人をロールモデルにしながら、理解することができます。この二人にさらに学んで、これからも、人生の山を下ることばかり考えずに、少しは上を向いて歩きたいと思います。


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