■快楽は、満足させられる欲望の量と時間に依存しない ゲーテ
村松正隆さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
ゲーテは、ストア派に霊感を受けただけでなく、東洋とペルシャ文学を発見してから、イスラムにも霊感を受けたのですね。1815年の『西東詩集』では、「イスラム」が神への帰依を意味するなら、われわれは皆、イスラムのうちに生き、かつ死ぬ、と書きました。
ゲーテは、「われわれは皆、イスラムのうちに生き、かつ死ぬ」というフレーズを気に入っていてたようです。よく取り上げたのですね。
本書の最初の章がとても面白かったです。
「快楽は満足させられる欲望の量に依存しないばかりか、なかんずくそれが続く時間の長さにも依存しない。快楽は、絶対に完全であるために長時間続く必要はない。「無限の生の時間は、私たちが有限と理解しているこの生の時間が味わわせてくれる以上の快楽を味わわせることができるわけではない。」」(28)
快楽の頂点というのは、「魂の完全な平安を保証するもの」だというのですね。この頂点があれば、時間は関係ないのだと。
しかしこれは、人生において、自分の魂の頂点を経験することではなく、現在という時間が、すべて頂点になりうるということです。それは、過去と未来について考えずに、現在に集中する能力を前提としています。これは人格の成長を前提とするのではなく、人格が成長するにせよ、そうでないにせよ、「いま生きて在る」ことの歓びを、快楽として感じられるということですね。では、そのために必要なことは何か、という問題になりますが、本書は第二章で、やはり「精神の高み」に達するための「修練」を前提としています。
精神の修練、人格の成長、という想定があってこそ、「いま生きて在ることの歓び」がある。それはなぜかと言えば、私たちの欲望が歓びの源泉にならず、欲望以外の快楽が感じられるようになるからでしょう。そのような快楽は、欲望を脱して、絶対性と完全性を備えているのでしょう。
そのようなことを考えてみました。