■カトリックは内部からの批判に寛容だった
大澤真幸『〈世界史〉の哲学 近世編』講談社
大澤真幸さま、ご恵存賜りありがとうございました。
ポッジョ・ブラッチョリーニという人は、有能なブックハンターで、ドイツの片田舎の教会の書庫で、ルクレティウスの『物の本質について』を発見したのですね。1417年のことでした。
この本は当時のカトリックにとってきわめて危険な本であることが分かるわけですが、ポッジョは教皇庁の中枢に勤める職員。教皇の補佐役でした。
当時ラーポという人が、ローマ教皇庁を批判しています。対話篇で書かれていますが、要するに教皇庁は、道徳的に崩壊しているのだと。しかしラーポは、そのような文章を書きながら、一方では教皇庁に就職しようとしていたのですね。ラーポは自分の文章の中で、ポッジョに言及して、その博学な知識と雄弁さを絶賛しています。ポッジョのご機嫌をとって、就職しようとしていたのですね。そしてそのポッジョ本人もまた、教皇庁を批判する文章を書いている。
教皇庁のトップクラスの職員たちが、まさに自分の組織のトップを批判している。15世紀には、そうした「権威の相対化」が可能になっていたというわけですね(115頁)。
ルター派の論客であったら書きそうなことを、すでにカトリックの人たちが内部批判というかたちで書いていた。しかも容認されていた。これは興味深い事実です。