■リバタリアンとしての見田宗介
見田宗介/大澤真幸『〈わたし〉と〈みんな〉の社会学』左右社
見田宗介さま、大澤真幸さま、ご恵存賜りありがとうございました。
所得配分原理に関する見田先生の立場は、リバタリアニズムの一種ですね。幸福のための最低限の条件が保障されていれば、その上で格差はいくらあってもいい。例えば現代の日本社会で、一年間に必要な金額が250万円であるとします。すると、すべてのひとに250万円が保証されているなら、100億円もらう人がいてもかまわない、その上で自由に競争すればいい、というわけですね。これはガンジー以上に格差を認める、リバタリアンな見解であると思いました。