■行政と協力する市民、しかし影の政府を準備する回路とは


 

大川千寿編、山田陽、澁谷壮紀、孫斉庸、玉置敦彦著『つながるつなげる日本政治』弘文堂

 

山田陽さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。

 

 全体として凛とした、一本筋の通った文体で、政治と政治学の基本的な問題を説明されています。切実な関心が伝わってきます。なかなかこういうストレートに誠実な精神では書けないものです。読後感は、さわやかです。

本書の第一章と第11章、それから付録の「日本政治基本用語集」の全体を担当されたのですね。これはつまり、この共著の中心を執筆されたということでしょう。心よりお祝い申し上げます。

 戦後日本の「市民」を再検討するとき、まず安保闘争の問題にぶち当たります。安保闘争です、中間集団に属する人たちも属さない人たちも、いっしょになって国家に対抗する運動を繰り広げた。そしてベトナム反戦運動がつづきます。運動においては、大衆に埋没しないで、自律した個人として行動するという、市民の理想が掲げられました。

並行して、都道府県では、革新自治体が登場します。国家が機能しないとき、国家に対抗して進歩的な解決を模索するのは、地方行政です。その可能性が示されます。

こうした流れのなかで、「市民」というのは、国家に対抗する公共空間を築いてきた存在でした。しかしいま「市民」を語るとき、国家と協力する場面も多くなってきた。「市民」とは、必ずしも国家に対抗する存在ではないでしょう。

考えるべきテーマは、おそらく国家の政策に影響を与える市民の運動です。たんに反対するのではなく、行政サイドといっしょに議論を積み上げて、それからアイディアを提起していく。そういう市民は、どういう回路から生まれるのでしょう。ミニ・パブリクスを爆発的に増大させれば、その可能性が生まれるでしょうか。

もう一つ、政策ブレインのような集団は、これまで「影の政府」というアイディアで語られてきました。野党がもう一つの政府をシミュレーションするという、実験的な制度を組み込むというアイディアです。これを実現することは、民主政治にとって重要ですね。ただ、どのようにすればいいのか。

ありうる一つの考え方は、二大政党制の実質化です。しかしこれは、いかにして可能なのか。これからも議論にお付き合いいただけると幸いです。


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