■正解を探すのではなく、自ら問い、考えるために
鈴木有紀『教えない授業 美術館発、「正解のない問い」に挑む育て方』英治出版
鈴木有紀さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
教育の可能性を探る、希望の書であります。
小学校・中学校で、「対話型の鑑賞」というユニークな授業をされているのですね。ニューヨーク近代美術館で始まったやり方で、それを日本に導入した方法なのだと。なんてすばらしい教育の手法でしょう。
「正解を探すのではなく、自ら問い、考えること」。
このような新しい方法を導入すると、子どもたちがどんどん発言するようになる。勉強の苦手な子も、積極的に発言するようになる。子どもたちは、自分の頭で考えている、そのように感じられるのですね。
これは、子どもたちのアート作品に対する「鑑賞力」が高まるというよりも、「学ぶ力」「学ぶ意欲」そのものが培われるというのですね。「正解のない問いに向き合う力」や「異なる意見に耳を傾ける姿勢」が、子どもたちのなかに芽生えていく。
ある発言に対して「どうして、そう思うのですか」と質問すると、生徒は答えられなくなってしまうけれども、やり方を変えて、「どこからそう思う?」と質問すると、生徒たちにいろいろ答えてくれる、というのは興味深いです。
実際に、「どうしてそう思う?」という質問のパタンと、「どこからそう思う?」という質問のパタンの違いを検証してみると、「どこから」という問いかけの場合、74%は事実の答えが返ってくる。20%は解釈の答えが返ってくる。
これに対して「どうして」という問いかけの場合、53%が事実の答え、40%が解釈の答えとなる。
理想的にみて、哲学的な、正解のない答えを探す場合は、事実よりも解釈の答えを期待します。しかし哲学を期待して、子どもたちに「どうして」と質問すると、あまり答えられない。であれば、「どこから」と質問したほうが、結果として「解釈」に関する答えも、多く引き出すことができるわけね。なるほど、と思いました。