■みんながマイノリティの社会
富永京子『みんなの「わがまま」入門』左右社
富永京子様、ご恵存賜り、ありがとうございました。
日本がもし30人の教室だとしたら、
(1) ひとり親世帯の人は、2人。
(2) 発達障害の可能性のある人は、2人。
(3) LGBTの人は、3人。
(4) 貧困状態にある人は5人。
(5) 世帯年収1000万円以上の人は、3人。
(6) 外国籍の人は、1人。
となるのですね。
ひとり親世帯の人は、私の暮らす地域ではもっと多いです。LGBTの人は、このカテゴリーに収まらない性的マイノリティの人たちも含めているのかもしれませんが、なかなか可視化されませんね。でも1割ということですね。
相対的貧困の基準で「貧困状態」を計算した場合に、貧困状態の人は5人。これはやや少ないように見えました。ただ、子どもがいる世帯だけを取り出してみると、異なる結果になるのかもしれません。
この(1)から(6)までの人たちが、もしまったく重なっていなければ、30人クラスの約半数の人たちは、特殊な事情を抱えている、ということになります。半分くらいはマイノリティであると。そういう人たちが、ある面では「ふつう」で、しかしある面では「特殊」で、全体としては、やはり「ふつう」の人間として振舞おうとする。そういう同調圧力がある。
しかしこの同調性は、ときには異質なものを排除するとして、ときには異質なものに寛容であったりする。同調しない人がいても排除しないで、それでも別の同調性を確保しようとする。そのようなコンフォーミズムの形態は、たとえば、新型コロナウイルスの感染拡大を抑止するための自粛にもみられるでしょう。自粛しない人を強く排除しないけれども、自分は自粛するという人が多くいる。そういう仕方でコンフォーミズム的な社会を築くことが、ときとして有効に機能する。そのようなことを考えてみました。