■経済学の中心テーマは、効用ではなく活動にある
長尾伸一/梅澤直樹/平野嘉孝/松嶋敦茂編『現代経済学史の射程: パラダイムとウェルビーイング』ミネルヴァ書房
長尾伸一さま、梅澤直樹さま、平野嘉孝さま、松嶋敦茂さま、執筆者の皆様、ご恵存賜り、ありがとうございました。
経済学史には、「活動」概念を称揚する系譜があります。アリストテレス、マーシャル、そしてアマルティア・センに継承される系譜です。
とくにマーシャルにおいては、「効用」と「活動」が対比的に捉えられていて、「活動」の理念は、既存の経済学に対する批判の観点を提供しているのですね。
マーシャルは、「効用」とは異なる人間の理想、活動の理想があると考えた。それはしかし、経済学の本当の理想(理念)である。人間の性格の発達と卓越、それによる社会の進歩。こうした研究こそ、経済学に含まれなければならない、というのですね。
例えば、どんな労働が人間の品位を貶めるのかについての研究。あるいは、自由な企業と産業が、活力・率先・進取の気性など、ある特性を発揮させることについての研究。また、地位を誇示したり流行に同調したりするという性質をもった欲望の研究。等々。
人間の欲望には、「活動」を通じて創出される欲望というものがあります。それは、いわゆる「欲望の科学」の対象というよりも、「努力と活動の科学」の対象になる。
この「活動」が経済学の研究対象となるためには、たとえ効用が低くても、追求する価値がある活動の事例があるといいですね。
政府は、各人の効用の総量を最大化するのではなく、各人の活動を最大化することを目標にして、そのための経済政策を実施する。そのような政策介入の正当性を、活動の経済学が提供する、ということになるでしょう。
このような考え方は、現在、新保守主義的な道徳の理念によって、代弁されているように見えます。新保守主義は、マーシャルの考え方を継承しているといえます。
これはしかし、アマルティア・センの考え方を拡張する方向に、発展させることができるでしょう。私はセンの主張を乗り越えて、「潜勢的可能性(ポテンシャリティ)としてのケイパビリティ」という理念を提起していますが、この考え方はマーシャルを発展的に継承するものだともいえるでしょう。