■ナッジとは正反対の仕掛けもある
キャス・サンスティーン『スラッジ 不合理をもたらすぬかるみ』土方奈美訳、早川書房
早川書房さま、ご恵存賜り、ありがとうございました。
サンスティーンは「ナッジ」論で有名になりましたが、「ナッジ」の反対概念にあたるのが、この「スラッジ」なのですね。
ナッジとは、人々に対して、ある行動を促すような仕掛けのことです。これに対してスラッジとは、人々に対して、ある行動をためらわせるような仕掛けのことです。
例えば、米国のジョージア州では、投票するために、長蛇の列に並ばなければならない。4時間も並ぶことがある。これでは投票を諦める人もたくさんいるでしょう。
あるいは、膨大な書類を作成しなければならない、という官僚的な制度も、スラッジです。
米国では、国民が連邦政府のための書類作成に費やす時間は、2017年の段階で、114億時間であると推計されました。1時間の労働の対価を27ドルとすると、3078億ドルに相当します。これは教育省の予算の四倍以上になる、というのですね。一時間の対価を7ドル(約1,000円)で計算すれば、およそ教育省の予算程度になりますね。
スラッジは、うまく機能することもあります。例えば、ビザの発給手続きには、ある程度煩雑な書類作成が必要です。というのも、そのような書類を作成する過程で、人々は自制心を養うことができるからです。書類の作成は、人々を自律させるための、ミクロな規律訓練権力として作用します。
そのような権力としてのスラッジを、どのように用いるべきか。これはナッジ論の一つのテーマですね。ミッシェル・フーコーがいう、人々を自律させるための規律訓練権力も、このスラッジという観点から解釈すると、興味深い考察が得られるかもしれません。